途中で数回何故かタクシーを変えながらトータルで三十分ほどタクシーに揺られた末、
おそらく女性の住居らしいアパート前に到着した。
女性を残し、先にタクシーから下車する。
体感では半日ほど経過した気がしていたが、ふと腕時計を見ると、時刻はまだ十時を回ったばかりであった。
ここに来るまでに遭遇した出来事が多すぎて、脳の処理が追いつかないでいると、
タクシーの料金を支払い終えたらしい女性がこちらに来る。
既にマスクとサングラスは外しており、見たところ二十代に見える。思ったよりお若いようだ。
「待たせてごめんなさい。すぐ鍵開けるから。」
そういうと、女性は自室なのであろうアパートの一階にある一室の鍵を開け、私を中へ招き入れた。
畳が敷き詰められた8畳ほどの一室に通され、テーブルの前に用意された座布団に座る。
しばらくすると、女性がお茶とお菓子を用意して部屋に現れた。女性は私にお茶を差し出す。
「どうぞ。」
「い、いただきます。」
湯呑に注がれたお茶を一口ばかり口に含む。
思い返すと、最後に水分を取ったのは岩手あたりのサービスエリアだっただろうか。
そうしていると女性が言った。
「少しは落ち着いた?」
「はい…お陰様で。…危ないところをありがとうございました。」
「いいえ。」
女性は微笑みながらそう答えた。
「…そういえば、自己紹介がまだだったわね。私は速狩舞。あなたは?」
「…霧洲美晴です。」
「ミハルちゃんね。…失礼だけど、歳はおいくつ?」
「…十五歳です。今年で十六になります。」
「そう…。」
そういうと女性、もといハヤカリマイさんはお茶を啜った。
「あ、どうぞ。遠慮せずに召し上がって。」
そういってカスタードケーキらしきものが乗ったお盆を私の方へ差し出す。
「…ありがとうございます。」
マイさんに礼を言ってカスタードケーキを頂く。
口にケーキを含むとリンゴの風味が広がる。
ケーキに込められたカスタードクリームにはリンゴの果肉が入っているようだ。
そのまま少しばかりカスタードケーキを食していると、マイさんが口を開いた。
「…それで…まあ、いろいろと事情はあるんでしょうけど、いくつか質問させてもらうわね。」
マイさんは一転して真面目な口調でそう言った。
困ったものだ。実際いろいろと事情がありすぎる上に説明もしづらい。
そう悩んでいると、突如部屋のチャイムが鳴った。
「あら、もう着いたの。…ごめんなさい、ちょっと待っててね。」
そう言うとマイさんは玄関の方へ駆けていった。
ガチャリと扉が開く音がして、何やら話し声が聞こえる。
マイさんの口調から察するに、どうやら親しい人間らしい。
しばらくすると、マイさんが部屋に戻ってきた。
「お待たせ。」
「…ご家族ですか?」
「…いいえ。まあ、ビジネスパートナーみたいなものかしら。」
「ビジネスパートナー…?」
話していると、そのビジネスパートナーとやらが入ってきた。
とりあえず挨拶をしておこうと、顔を上げる。すると、目線の先には今朝道案内をしてくれた青年が立っていた。
「やあ、今朝はどうも。」
数分ほど2人からこの状況の説明をされた。
内容を整理するとこういう事らしい。
この男性の名前は「アマギシンサク」といい、マイさんのビジネスパートナー。
2人はフリーランスで仕事をしており、よく連絡を取り合っている。
今朝の私の挙動言動を不審に思ったシンサクさんは、所用であの埋め立て地にいたマイさんに連絡をした。
そして、どのタイミングからか、マイさんは「埋め立て地に向かった年齢十代半ばほどの、自称大企業の本社ビルマニアの少女」を発見し、
その様子を伺っていたのだとか。やはり「大企業のビルマニア」なんて無理が過ぎたのだ。
「尾行をつけるような真似をして申し訳ない。」
「気を悪くしたでしょう?」
2人はそういって頭を下げた。
「いえ…。」
実際尾行されたおかげで無事に済んだのだから文句は言えない。
むしろこの場合感謝をしなければいけないと思ってこちらも頭を下げた。
「危ないところを本当にありがとうございました。」
下げた頭を戻したところで新たに疑問が湧いてきた。
この2人がフリーランスで仕事をしている一般市民で、善意で私を助けてくれたのはいいとしよう。
だが、この2人はいいとして、途中で乱入したあの白い人は何者なのだろうか…?
切羽詰まった状況下ではあったが、マイさんは明らかにあの白い怪人物を呼び出したように見えた。
その疑問について私は本人にきいてみることにした。
「ところで…あの白い人は何なんでしょう。」
私の問いに対しシンサクさんは要領を得ない様子で答えた。
「…白い人…?」
この反応を見るにシンサクさんはどうやらあの白い怪人物のことを知らないようだ。
だが、マイさんはどうだろう。
シンサクさんと違いマイさんは明らかにあの白い怪人物とコミュニケーションをとっていた。
無関係の筈はない。
「なんていうか…その…特撮ヒーローみたいな。」
より詳細な所感を伝えつつ、マイさんの方を見る。
「ああ、あれね。」
マイさんはあっさりと答えた。
「あれは…そうね…。ボディーガードみたいなものよ。」
しかし、どうも説明がふんわりとしている。
「ボディーガードですか…?」
「ええ。昔からの伝手があってね。…荒事に巻き込まれたときによく助けて貰ってるの。」
…ということはこの人、昔からよく荒事に巻き込まれているのだろうか…。
フリーランスとは言うが何のフリーランスなのだろう。
悪い人ではないと思うが、やはり何か怪しい。少なくとも堅気の人間ではない気がしてきた。
「まあ、言われてみるとそこそこ白いわよね。」
「そうだっけか…。俺はまともに見てないしなぁ。」
この反応を見るにどうやらシンサクさんの方はあの怪人物とあまり接点がないらしい。
「その…大丈夫な人なんですかね…あの白い人。」
今の私の正直な疑問を2人に話してみる。すると少しの沈黙の後シンサクさんが反応した。
「まあ…大丈夫ではないだろうね。あれは。」
するとマイさん呆れた様子で反応する。
「…何言ってるのよ。」
「冷静に考えても見るとだ。あんなナリで棒切れ振り回してる人間が大丈夫かといわれると…まあ大丈夫じゃぁないだろう。」
私も同じ意見だ。どうやら、シンサクさんは信頼できそうだ。
だが、そんなシンサクさんを見たマイさんはため息交じりにフォローを入れる。
「…大丈夫よ。今の彼は信頼できるわ。」
「今の彼は…?」
「…おっと。大丈夫、彼は信頼できるわ。」
大分フォローが苦しい。
シンサクさんもマイさんの言動を聞いてか何とも言えない表情をしている。
また少し間があいた後シンサクさんが口を開いた。
「…とりあえずだ。いざという時の戦力としては、少しは役に立つということでいいだろう。
少なくともこちらに直接危害を及ぼすことは無いだろうしね。」
コメントがやけに辛辣だ。どうやらシンサクさんはあの白い人を良く思っていないらしい。
「さて、話題がそれてしまったが…君の話を聞かせてもらってもいいだろうか…?」
シンサクさんは私の目をまっすぐに見ながら言った。
白い人の存在のせいで、マイさんについては少々怪しく思ってしまうが、
少なくともシンサクさんはまだ信頼できそうだ。
しばしの沈黙の後、ここまでの経緯を話すことにした。デリケートな情報を伏せて。
要約すると、
「人を訪ねて八戸に来た。その人が働いている会社のビルに行ったところ、
その人の同僚だという人から、このケースを預かった。そしたら、あの集団に追いかけられた」
といったところだろうか。
「…そう…災難だったわね…。」
「…気の毒に…。」
2人は私に同情してくれた。
「…さて、ケースの中身は見たの?」
マイさんはテーブルの上に置かれたケースを一瞥した後私に聞いた。
「いえ…そういえばまだ見てませんでした。」
「ふむ…拝見してもよろしいかな?」
シンサクさんが言った。確かに、中身は見ておいてもいいかもしれない。
「はい、お願いします。」
私はケースをシンサクさんの方に差し出した。
「ありがとう。…さて。」
シンサクさんは錠を開け、ケースを開いて中を覗いた。
数秒その中身を覗いた後、ケースをマイさんの方に渡す。
「…どう思う?」
シンサクさんはマイさんに聞いた。
「どれどれ…。」
マイさんはシンサクさんよりも注意深くケースの中身を観察しているようだ。
「…なるほどね…。」
どうやら、ケースの中身がなんであるかを理解したらしい。
「君にこのケースを渡した人、どんな人だった?」
シンサクさんは私に聞いてきた。私は記憶を反芻しながらシンサクさんに佐益さんについて説明した。
「なるほど…。四十手前くらいの男性で、パーシアスが行っていた非合法のプロジェクトを阻止しようとこのケースを持ち出した…か。」
「あの…そのケースって何が入ってたんですか…?」
私はケースの中身についてシンサクさんに聞いてみる。
「さて…なんと説明すべきか…。」
そう言うとシンサクさんはマイさんの方を見ながら少し悩んだ様子を見せた。
「そうね…。」
マイさんは少しの間の後、私の方を向いて話し始めた。
「…今見た限りの所感だけど、これはコントローラーね。」
「…コントローラー?」
私はオーソドックスなゲームのコントローラーをイメージする。
「…勿論、玩具では無いわ。」
マイさんは私の脳内を言い当てるように話した。
「…えっと…なんのコントローラーでしょう?」
すると、今度はシンサクさんが答えた。
「端的に言うと…無人兵器のコントローラーなんだ。」
―無人兵器―
随分と物騒な単語が飛び出した。
「へ…兵器ですか…?」
「…ええ。それも最新式のね。」
「それじゃあ…非合法のプロジェクトって…。」
私はあの埋め立て地から、ミサイルやヘリコプターや戦車のようなものが現れて街を破壊していく様子を想像した。
「…これ、どうしようか…?」
シンサクさんはそういうと開いたままのケースを持ち上げる。
すると、ケースの中身が私にも見えてしまった。
ケースの中は機械がぎっしりと詰まっており、よく見ると小さなモニターや折りたたまれた操作スティックらしきものも確認できる。
そして、先ほどの想像が再び私の脳内を巡る。
正直言ってこのケースを持っているのが少し怖くなってきた。
そして、もう一度2人の方を見る。
「もう少し調べる必要があるわ。」
「…やはりそうか…。」
「ええ。」
それまでと違い、2人の間からもただならぬ気配を感じる。
再びの間の後、シンサクさんが口を開いた。
先ほどまでとは打って変わって、柔らかな印象で。
「ところで、ミハルさん。」
「は…はい。」
「今晩の宿は決まってるかい?」
宿…。そう言えば決めていなかった。
東京を出るときは野宿でもすればいいかと安易に考えていたが、この気温での野宿はどう考えても命に係わる。
しかし、最早ホテルに泊まれるだけのお金は持っていない。
「どうしよ…。」
思わず声に出てしまった。すると、シンサクさんとマイさんは顔を見合わせる。
「今晩彼女に一部屋融通できないか?」
「…そうね。」
「私、このアパートの大家をしているの。もしよければ今晩はここで休んでいって。」
マイさんは私にそう言った。
「で…でも、申し訳ないです…。」
「大丈夫よ。どうせ空き部屋ばかりだし。」
「あ…あの、ちなみに野宿とかは。」
念の為聞いてみる。
「…正直に言って…命の保証はできない。」
シンサクさんは今日一番真面目な口調でそう言った。やはり自殺行為らしい。
「…すみません、一晩お世話になります。」
私はここに一晩厄介になることにした。