【Chapter 2】

 

 

―何がいけなかったのだろうか。

寝不足を押して歩けど歩けど、一向に父の働いていたというビルは見えてこない。

そもそも埋め立て地というならば海の一つや二つは見えてきてもいいだろうに。

 

―道間違えた―

 

今の私にとって、非常に困った一文が頭をよぎる。まさかそんな筈は―。

不安を無理にかき消しながら足を進める。しばらくすると、どうやらこの町の中心街らしきところに行きついた。

…しまった。確実に進むべき道を間違えたらしい。

一度落ち着いてマップを見直そうと、この中心街の中で目についたガラス張りの広場に入った。

 

 

丁度良くテーブルが設置されていたので、その上でマップを広げる。

マップによれば、私は完全に正反対の方向に歩いていたらしい。

どっと疲れが押し寄せ、たまらずテーブルと一緒に設置されたベンチに座り込む。

すると私を嘲笑うかのように、広場に設置された大きなスクリーンに青々とした海と工業地帯に囲まれた目的地の空撮映像が映し出された。

 

 

『―八戸が 世界の明日を 創り出す―Perseus Enterprise』

 

 

そんなキャッチコピーと胡散臭いほど爽やかなBGMとともに映像は終わった。

 

テーブルに広がるマップを眺める。ここから目的地までざっと7Km。

もはや歩く気力など残ってはいない。そして追い打ちをかけるように腹の虫が空腹を叫び始めた。

そして私は、とうとう倒れこむようにテーブルに突っ伏した。

 

 

やはり中学を卒業したばかりの小娘には無謀な賭けだったのだろうか。

家を飛び出そうとする私を冷笑する親戚一家の顔が脳裏に浮かぶ。

それでも、…それでも他人に使い潰されるよりは、

この見知らぬ土地で自由の身のまま果てたほうがはるかにマシだ。

 

―あの家を出たのは間違いでは無かった。私は満足だ。―

 

そう自分を納得させ、私は目を閉じようとする。だが、

 

「あの…大丈夫ですか…?」

 

突然声を掛けられて驚いた。最後の力を振り絞って声のする方を向き、目を見開くと、

三十手前くらいの長身の青年が、こちらを奇異の目で見つめている。とりあえず通報されては困るので返答をする。

 

 「はい…大丈夫です。怪しいものではありません。」

 

青年は困惑した様子で会話を続ける。

 

 「…もしご体調が優れないようでしたら救急車お呼びしますけど…。」

 

困る。病院に担ぎ込まれてもお金なんてない。なんとしても断らなければ。

私は無理やり体を起こし、答える。

 

 「…大丈夫です。ちょっと寝不足でちょっとお腹がすいてるだけです。」

 

怪しまれないように、無理やり元気な表情を作る。

青年は困惑しながらも、

 

 「そうですか…。…ええと、こんなものしかないけれど、よかったらお食べになります…?」

 

そう言うと、青年はビジネスバッグの中から海老のイラストが付いたスナック菓子を取り出し私に差し出す。

なぜそのスナック菓子を持ち歩いているのか。

そんな疑問は沸いたが、空腹がその疑問をかき消す。しかし、見ず知らずの他人に甘えるわけには―

 

 ―キュルルルルル~~~―

 

お腹の虫は正直だ。青年は苦笑しながら私にスナック菓子を差し出す。

 

「ごめんなさい。いただきます。」

 

私は赤面しながらスナック菓子を受け取り、貪った。

 

  「…ごちそうさまでした。」

 

とりあえず青年にお礼を言う。

 

「お粗末様でした。…まあご病気ではなさそうで何よりでした。」

 

青年は笑いながら答えると、テーブルに広がるマップを一瞥し、

 

 「もしかして…ご旅行ですか…?」

 

そう私に聞く。―旅行だったらどれだけ良かったことだろうか―そう愚痴るわけにもいかず。

 

 「……まあそんな感じです。」

 

と若干濁して答える。青年はさらに聞いてくる。

 

「…もしかして迷ってます…?」

 

図星だ。まあ旅行者がマップ広げて倒れてたら、迷ってるようにしか見えないだろうけど。

私は無言で頷いた。

 

「なるほど、それで…目的地は?」

 

青年は尚も問いかける。私はマップの埋め立て地を指さし、

 

「このパーシアス・エンタープライズ本社ビルっていうところです。」

 

と答えた。青年は一瞬の間の後笑顔で、

 

「それだったら、今はこの広場から道路を挟んで向かい側のバス停から直行便が出てますから、そちらが便利ですよ。」

 

と親切に答えてくれた。

だが、一瞬険しい表情になったのは気のせいだろうか…。

 

「バスは二十分起きにでるので直近だと十分後ですね。」

 

青年は続ける。私は財布の中を思い出し青年に聞く。

 

「他に移動手段ってあります…?」

 

青年は私の懐を察したように答える。

 

「バス以外ですと精々タクシーぐらいですが…お嬢さん一人と考えると、バスが一番割安ですかね。」

 

どうしよう。流石にもう九十分歩く気力は無い。

ここは思い切ってバスを使おうか…。

 

 「…分かりました。それじゃあバスで行くことにします。」

 

私は誘惑に負けた。青年は少し安心したような表情を浮かべている。

 

 「…しかし珍しいですね。パーシアスの本社にご観光とは。」

 

青年が話を続ける。これ以上は不都合な話題になりそうだ。そう思った私は会話を切り上げることにした。

 

 「…えっと…その…実はですね…」

 

しかし、ここから如何に会話を切り上げようか…。

そう考えていると不自然に会話の間が空く。ただでさえ怪しいのに、

これではさらに不審に見られてしまう。

 

…仕方ない。若干無理のある返しかもしれないが、この十数秒で最初に思

いついた返答をすることにした。

 

 「…私、大企業の本社ビルマニアなんです。」

 「は?」

 

言って若干後悔する。誤魔化すにしても、他にまともな回答は無かったのだろうか。

これだから寝不足はいけない。だが言ってしまったものは仕方ない。

私は青年が困惑しているのをいいことに畳みかける。

 

「大企業の本社ビルに萌えるんです。大企業のビルってだけで、なんか、こう、最高じゃないですか⁉」

 

青年の目は点になっている。

 

「それではそろそろバスが来ると思うので私、バス停に行きますね。いろいろとありがとうございました。」

 

私はそう言うと頭を下げ、その場からそそくさと退散する。去り際に青年が、

 

 「…最近の若い子の好みというのは謎だな…。」

 

とかぼやいていたがどうでもいい。そして私は道路を挟んで向かいのバス停からバスに乗車した。

ふとバスの窓から先ほどの広場を覗くとあの青年は電話をしているようだった。

 

>【Chapter 3】