見晴らしのいい海崖の上を歩いていた。
一面に広がる雄大な海に暖かい陽の光が降り注ぐ風景の、なんと気持ちのいいことだろう。
しばらく呆然とその光景を眺めつつ潮風に身を任せていると、後ろから私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
振り返ると父が立っている。こうして会えるのは何年ぶりだろうか。
優し気に微笑む父を見た私は、嬉しいような、悲しいような何とも言えない感情に駆られ、
衝動のままに父の元に飛び込もうと足を踏み出す。
しかし、踏み出した地面は突如崩れ出し、私の身体はゆっくりと空間へ投げ出された。
父は優しく微笑んだまま私に背を向けて歩き出す。
私は去っていく父の背中を見つめたまま、海面から張り出した岩場へと身体を叩きつけられ―
そこで目が覚めた。おもむろに周囲を見渡すと、カーテンの隙間から日光が漏れ、
自分と同じようにして三十余名が座席で眠りこけている。
左手に着けた古びた腕時計を見ると時刻は七時十六分を示していた。
少しばかり身体を伸ばしつつ記憶を反芻する。
昨晩は新宿から夜行バスに乗った。慣れないバスでの長距離移動でしばらく寝付けず、
ようやく記憶が途切れたのは盛岡を過ぎてしばらくのあたりであろうか。
辛うじて眠れたのは2時間余り。
この数か月はいつも寝不足気味だったとは言え、流石にこれは堪える。
再び襲い来る眠気に思わず欠伸を漏らしていると、室内灯が点灯し下車の準備を促す車内アナウンスが鳴り響く。
ショッピングセンターの敷地内に到着したバスから下車し、
乗務員から「きりしまみはる」とひらがなで名前の入ったリュックサックを受け取る。
時刻は七時半を回ったところだ。バスの待合室へと向かい、配布されていたテイクフリーのマップを頂戴した。
混みあう待合室のベンチにどうにか座り込み、マップを開いて道筋の検討をつける。
地図によれば、父親が働いていた会社のビルはここから北東に6キロ近くの埋め立て地。
歩くと九十分ほどだろうか。寝不足の身にはつらい距離だ。ポケットから財布を取り出す。
千円札が一、二、三。なけなしの全財産も残りわずか。無駄遣いは禁物だ。
マップを閉じて顔を上げる。周りを見渡すと待合室の混みあいは増している。
そして待合室の暖房に当てられ、またも眠気が襲ってくる。…動けなくなる前に歩き始めなければ。
丁度目の前に、大荷物を抱えて座席を探している様子の老婆が通りかかった。
座席を譲ると老婆からは痛く感謝され、少しだけ疲れが和らいだ気がした。
そして私は待合室を後にした。
深呼吸をする。
三月の青森の空気の冷たさに若干咽そうになったが、おかげで眠気は吹き飛んだ。
リュックサックの中から一枚の写真を取り出してじっと見る。写真の中の父は夢の中と同じように優しく微笑えんでいる。
写真を大事にポケットに納め、リュックサックを背負い込む。
3月17日午前7時45分、霧洲美晴は蒸発した父を探し、青森県の地方都市、八戸市へと足を踏み出した。