3月18日朝6時。十数分前には日が昇り始め、冷え切っていた気温が徐々に上がっている。

 

八戸市沿岸の館鼻岸壁では丁度この日から今年度の朝市が開始されており、

エリア内には四百近くの出店が立ち並び、その中の一店舗でパーシアスエンタープライズ警備部監察班の職員である

荒居周平は同僚数名と共にカレーを食べている。

 

元来体育会系である荒居にとってカレーは何よりの大好物であった。

しかし今日のカレーはそこまで美味しくない。

いくつものスパイスを元にかなり拘って作られたのであろう美味しいはずのカレーを、何故か美味しく食すことができない。

既に荒居はその理由を理解している。

 

目の前に座っている上司が長い間こちらを死んだような目で静かに凝視してきているからだ。

 

荒居はカレーを本来の５％も楽しめないまま完食してしまった。

さりげなく脇に目を振ると２名の先輩はゆっくりとカレーを食べている。

 

目線を元に戻すと上司と目が合ってしまった。

上司は荒居がカレーを食べきるより早く自分の注文した料理を完食し、紙コップに注がれたコーヒーをチビチビと飲んでいる。

 

荒居もなんとなく上司に合わせる形で、紙コップに注がれたお冷をチビチビと飲みながら先輩２名の完食を延々と待つことにした。

 

 

僅かばかりのお冷を大事に消費しながら荒居は散々だったここ数日を思い返した。

 

 

 

一日目

 

いつも通りのルートで本社内といくつかの地下工場を巡回した後部署に戻ると、

上司がいつも以上に神妙な表情でデータを渡してきた。

端末で確認するとデータは監視カメラの映像で、全部でざっと百五十時間分はある。

 

上司は『データの中から開発部職員の佐益という男の映像を全て抜き出して提出するように』といった内容を指示して

監察班のオフィスから出ていった。

 

画面上に並んだ膨大なデータの一覧を眺め、少々面倒に思っていると、いつも巡回で組んでいる先輩２名が手伝いを申し出てくれた。

その申し出をありがたく受け入れ、部署で一番大きいモニターに関し映像を全画面出力し、

モニターの前に椅子を３つ並べて映像の確認を開始した。

 

３人で時々を休憩や仮眠をとりながら確認作業を続け５時間が経過した。

上司が帰ってくる気配は無く、定時になったので確認作業を中断して部屋を施錠し先輩２名と共に帰宅した。

 

 

 

二日目

 

先輩２名と共に少し早めに出勤して確認作業を続けようと準備をしていたところ苛立った様子の上司が出勤。

結果の報告を求められた。

 

 

まだ最初の５時間程度の確認を終わったところで、結果を報告できるまではあと一か月超はかかる旨を報告した。

 

上司は激怒した。

 

この地方の方言らしい言語で怒ってくるので意味がよくわからなかったが、先輩のうち地元出身の１名によると

 

『データ全部を並べて数倍速で再生して怪しいところをいくつかピックアップしていけば数時間で終わる作業なのに、何故無駄に３人もモニターの前にふんぞり返って馬鹿正直に頭から延々と眺めていたのか。馬鹿かお前ら』

 

という意味合いだったらしい。

上司はそのまま自分たち３人に佐益の身柄を拘束してくるように言い残して

極めて不機嫌そうな雰囲気でその場を後にした。

 

朝から嫌な気分にされたが、先輩２名と上司の愚痴を言い合って少しだけすっきりした。

そのまま上司の言いつけ通り佐益の身柄確保のために開発部の研究室に向かったが、佐益は既に研究室を去った後だった。

 

警備室で直近の監視映像を確認すると佐益は明らかに不審な様子でアタッシュケースを抱えて開発部付近の廊下を歩いていた。

時間を確認するとまだそんなに時間が経ってはいなかった。

 

先輩２名と話し合ったうえで、佐益が本社ビルのある埋め立て地を出る前に分担して埋め立て地中をしらみつぶしに探すことにした。

 

少し後、埋め立て地中を探し回っていると、佐益が持っていたはずのアタッシュケースを抱えた高校生くらいの少女を発見した。

 

なぜケースを持っているのか聞くと女の子が逃げ出したので、先輩２名に応援を頼みつつ少女を追いかけた。

 

先輩達と合流して、少女とその仲間らしい不審な女を追い詰めた。

だが、あと一歩のところで白い装備にマントを羽織った怪しい奴が現れた。

 

怪しい奴は先輩２名を早々に叩きのめし、今度は自分の方に向かって来た。

思わず奴に向かって拳銃を撃ったが命中しても効き目は無い。

拳銃の弾を撃ち尽くし、やむを得ず奴に殴りかかったが、腕を掴まれて捻られ、その場に組み伏せられた。

 

それでも抵抗を試みようともがいたが、次の瞬間目の前が青白く光り、そこで記憶が一時途切れた。

 

 

気が付くと辺りはすっかり夕暮れ時になっていた。

 

目の前には安心した様子の先輩たちの顔があった。２人は少し前に気が付いていたらしい。

幸い３人とも大したけがは無かった。　　

 

状況の確認のため部署に戻ると、上司が今朝の数十倍不機嫌そうな顔で机に座っていた。

 

先輩が佐益の確保に失敗した旨を上司に報告すると、上司はゆっくりと立ち上がり、一呼吸おいて再び激怒した。

さらに上司の怒りを加速させる恐れを感じたため、あの白い男について報告することはできなかった。

 

しばらくの間、時々空返事を返しながら方言での説教を聞き流していると、上司は怒り疲れたのか、ため息をついて椅子に座り込んだ。

そして、自分たちに徹夜で佐益の映像を短くまとめて明日の夜明け前に提出するよう言いつけて部署を後にした。

 

 

その後、先輩達と仕事を分担して百五十時間の監視映像から佐益の怪しい挙動を全て抜き出した。

映像を20分にまとめて上司の端末に送ったころには時計が３時を回っていた。

 

先輩たちは既に床に転がっていびきを立てている。自分も宿舎に帰るのが面倒だったので、机に突っ伏した。

どうせ明日は休日の筈だし、起きて寝たりなかったら宿舎に帰って寝なおそう。そう思いながら目を閉じた。

 

 

 

三日目

 

朝６時ごろ上司に起こされた。先輩達も起こされた様子だ。

上司に促されて先輩の運転するワンボックスカーに揺られ、会社近くの朝市に連行された。

そして、上司の奢りでカレーライスを注文し、現在に至る。

 

 

 

荒居が記憶の反芻を終えたころ、先輩である同僚２名も食事を終えていた。

上司は３人とも食事を終えたことを確認すると、静かに口を開いた。

 

「徹夜仕事ご苦労さん。まとめてけだデータは偉いさんさ送ったど。」

 

第一声は荒居と他２名に対する労りであった。

この２日間と比べると、相変わらず不機嫌そうな顔をしているものの雰囲気も大分穏やかな様子である。

 

荒居は現在の機嫌を維持して、このまま休暇に入りたかった。しかし、上司は再び口を開いた。

 

「連勤後の徹夜明けで悪いけんど、次の仕事だ。」

 

荒居は休日がなくなったことを察した。

 

 

荒居達は賑やかな朝市会場から人気のない場所に移動した。

その場に駐車していた自前のバイクの前に到着すると上司は話を始めた。

 

「ようやぐ上から佐益の処分の許可が下りだじゃ。」

 

 

上司の話を要約すると、佐益という男はだいぶ前から不審な動きを見せていたらしい。

そのことを知っていた上司は警備部長に佐益の身柄の拘束と聴取の許可を求めていたが、却下され続けていたようだ。

 

ここ最近になってようやく物的証拠が見つかれば許可を出す流れになったらしいが、その矢先に佐益は失踪した。

 

 

研究室を上司が捜索した結果、秘密裏に開発が進んでいた無人兵器のコントロールシステムが研究室からなくなっていたことが発覚。

また、まとめられた監視映像と、上司が別ルートで収集した通信記録などからも、

佐益が無人兵器に関連する情報を社外に売り渡そうとしたことは間違いないらしい。

 

これらの情報を提示した結果、警備部長はしぶしぶ佐益の拘束と、場合によっては抹殺の許可を出した、との事だった。

 

 

 

「２日以内に佐益の身柄を確保する必要がある。オラはこれから情報部さ行って奴のＩＣチップがら位置情報を探ってくるすけ、

 んがんどはぱっぱと動けるようにして車で待っててけんだ。」

 

一通りの情報共有と命令を終えると、上司はバイクにまたがり、走り去っていった。

不幸にもワンボックスカーを止めた場所は、この場所から朝市会場を挟んで反対側にあったため、荒居達は１０分ほど歩く羽目になった。

 

 

 

先輩達は休日がなくなったことの愚痴を言い合いながら歩いている。

荒居は既に愚痴を言うほどの気力は無く、ポケットに手を突っ込んで静かに先輩の後ろをついて歩く。

しばらくぼーっと歩いていると、荒居は先輩のうち一人の背中にぶつかった。

 

「…荒居、大丈夫か…？」

 

　ぶつかった先輩が心配している。

 

「…すんません。ぼーっとしてました。」

「…まあ、無理もねぇよな。」

 

もう一人の先輩が苦笑してそういった。

 

「先輩方は元気っすね。」

「荒居もしばらくすれば慣れる。」

「…あんま慣れたくねぇっす。」

「…テキトーな店でもうちょい休んでこうぜ。」

「さんせーだ。このまま運転したら多分事故るぜ。」

「ハハッ。そしたら班長今月１４回目の大激怒だな！」

「あの人そのうちキレすぎて頭の血管プッツンいくんじゃねーの？」

「…ハハ…あんま笑えないっすね。」

「ところで荒居、お前はどこの店がいい？」

「そうっすね…。」

 

荒居は周辺を見回した。パン屋に花屋に魚屋、ラーメン屋などが並んでいる。

 

パン屋を見ると行列ができている。直ぐには席に就けない店はよした方がいいと思った。

次にラーメン屋を見た。飯を食ったばかりだからラーメンというのも少し重い気がするが、座席はそこそこ空いている。

 

 

 

老人が２名ほどと、家族連れが１組、そして中学から高校生程度の少女が１人いるだけである。

　―荒居はその少女が昨日追いかけた人間であることに気づいた。

 

 

 

>【Chapter 8】